アノニマス礼讃II 詳細解説(2016)
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2016年8月7日(日)『アノニマス礼讃II ~スイスの女・漁師の男~』公演の詳細解説です。今年は譜例も含め、24ページのボリュームとなりました。予習のおともにどうぞ。
ごあいさつ(本文より。長文)
昨年の夏に行いました、坂本龍右のリュート・ライブ『アノニマス礼讃』がご好評につき、早くも続編の開催をさせていただくことになりました。こちらの事前の詳細解説を手にとられた方はおそらく、正真正銘のリュート好きか、ルネサンス音楽に対する好奇心が人一倍旺盛な方であろうかとお察しいたします。そして言わずもがな、私もそうした一人です。何しろ「アノニマス」のみによるプログラムを立て、みなさんの前で実際の音として響かせるまでの作業は、さながら考古学者による発掘作業、洒落まじりに書けば、文字通り「考古楽者」の作業といえるでしょう。普段練習している時間よりも、曲探しの時間の方に無駄に時間を割いている、と周りに揶揄されることさえある私ですが(・・)、なるほど既存の枠組みから全く自由になって、いわば自分の「好き放題」に曲を選べる半面、細かく調べ出したらこの分野は本当に「きりがない」のも、また事実です。
ヨーロッパの各地の図書館ではインターネットを介して原典資料を公開するという流れが一段と強まり、リュートとその音楽についての学術的な研究も従来とは考えられない速さで進んでいます。今回のプログラムではそれらの最新の成果の一部を反映させながらお聞きいただくことにしておりますが、実のところ、私もこれらの流れには追いつけなくなってきている、と実感しはじめている次第です。もはや目下の状況では、どんなに時間と体力の有り余っているリュート弾きでも、例え16世紀の音楽のみに集中したとしても、その一生のうちではこなせないだけの量のレパートリーが供給されているのです。半ば諦めにも似た思いに駆られる反面、これだけレパートリーに恵まれているということは、我々にとっては、なんと贅沢なことでしょうか!
今回対にして演奏するプログラム「今さら聞けないルネサンスリュート名曲選」で並べた曲はいずれも、リュート音楽の復興と再評価の時代から今日にいたるまで、繰り返し多くの人々の手により演奏され、また多くの人々によって鑑賞されてきたものばかりで、言うなれば「時代による審判を経て」現代まで生き残った音楽です。対して「アノニマス礼讃」の場合は、一般にはほとんど、というより全く知られていないような音楽を、曲を選んだ演奏者本人でさえも懐疑を含みつつ(・・)、一度限りのつもりで演奏するわけですから、まだ「審判を仰ぐ」状態にすらなっていないのです。
プロ奏者、アマチュア奏者に限らず、これから自分が演奏する曲を決めるという状況で、一般的に知られてなくて、しかも良い曲か(≒ウケるか)どうかわからないのをやるよりは、既に知名度があってある程度評価の定まった曲で、しかも演奏効果の高いものやろう、という方向にいくのは、一理ありますし、自分の立場からも大いに納得できるところです。そうして演奏され、提供される音楽には、「約束された感動」が待っていることもあります。今日の多くの演奏家(特にクラシック音楽の分野で)が聴衆に対して負っている責務の多くは、この感動、言い方を変えれば聴衆との共有意識の構築である、と言っては言い過ぎでしょうか。
他方で、現在演奏されているヨーロッパの古楽といわれる分野において、その復興過程のムーヴメントの一翼を担ってきた先人たちの絶え間ない活動の多くが、レパートリーの発掘とその実践に費やされていた事実を忘れてはなりません。そして我々がその遺産を大事にし、なおかつその姿勢に習うならば、むしろより積極的に次世代のためにレパートリーを発掘しなくてはならないと、私は考えます。現代の古楽演奏のシーンを外から見ていると、古いレパートリーの固定化が徐々に進む一方、やや表面的に過ぎると思われる現代的アレンジの演奏などが目立ちますが、それはネガティヴな意味において、古楽の「クラシック化」が進んだことを現しているのかもしれません。時代の趨勢としてそれはある程度いたしかたないことでしょうし、その現象自体を否定する意図はありません。しかしながら、古い音楽に主体的に関わっていく以上は、「旧きを知り、新しきを知る」・・この日本の諺が表しているような態度を、常に持ちたいと思っているのです。
さて、難しいことを書き連ねてしまって恐縮でしたが、ムーヴメントとしての「古楽」を特別に意識せずとも、素直に「アノニマス」の音楽は、私にとって知的興味をそそるものです。手稿譜に何気なく書きつけられた、場合によっては書きなぐられたと言ってもいい音楽は、当時リュートを手にしていた人々のありのままの日常を、見事に映し出しています。そこには多少粗野でも、生み出されたばかりの原石のような輝きを感じ取れる音楽が、散らばっているのです。それを何世紀ものスパンを経て、みなさんと同じ場で音として共有する・・そのスリリングさを味わいたいからこそ、ここまでに執拗に「アノニマス」にこだわっているのかもしれません。そんな私の果てしない趣味(?)にお付き合い下さいまして、みなさんには心より感謝の意を表す次第です。
今回は、前回の「アノニマス」になかった趣向をいくつか取り入れました。まず、副題にもなっている「スイスの女」「漁師の男」は、鍵盤楽器のために書かれたと思われる手稿譜から選びました。特にタブラチュア譜の発生した段階において、リュートと鍵盤楽器は音楽のジャンルを共有するなど密接な関わりがありましたので、敢えて対象とする資料をリュート用のタブラチュア譜に限定しないようにしました。次に、複雑な記譜システムのために、当時の人々によってさえ敬遠されてきた、ドイツ式リュート・タブラチュア譜(そのシステムについては次章にて説明)のレパートリーに、初めて真剣に取り組んだことです。これによって、私の住んでいるバーゼルをはじめ、スイスにゆかりのある手稿譜やドイツ語圏の資料に現れる作品を、多く盛り込むことが可能になりました。おそらくこうしたものがまとめて演奏される機会は、これまでなかったと思われます。
改めて書きますが、個々の曲の内容の良し悪しは現時点では保障いたしません!それを判断するのは私ではなく、みなさまです。この中のたった一曲だけでも、ルネサンス・リュートにとってのかけがえのないレパートリーとして、後世に残ってくれれば・・そういう思いで臨んでおります。どうか最後までお楽しみいただきたく、お願い申し上げます。
2016年6月東京にて 坂本龍右
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