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アノニマス礼讃3~その忠告は理解できない~詳細解説
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質、量ともに過去最高の11ページ! 今回はプログラムに印刷譜に現れる「アノニマス」作品にまで範囲を広げ、有名な「作者不詳曲」や長らく誤解されてきた「作者不詳曲」も取り上げます。 出典の一次資料の紹介、入手方法、演奏曲の譜面画像をはじめ、それぞれの曲の聞き所を文字でご紹介。 あなたのファンタジーを広げる手助けをいたします。どうぞご一読ください! 【ごあいさつ】 坂本龍右のリュート・ライブ『アノニマス礼讃』も、ようやく第3回にこぎつけることができました。 『ルネサンス・リュート名曲選』のプログラムと同日開催した前回から、約一年半のもの間が空いてしまったわけですが、弁解させていただきますと、この間決して遊んでいたわけではなく(・・)、アノニマス作品の発掘に余念がない日々を過ごしておりました。何しろ私にとりまして、すっかりライフワークになったともいえるこの『アノニマス礼讃」ですので、次回の本番に出す曲はあれにしようか、これにしようか・・と迷っていたり、新たに発見・紹介された資料から譜面の書き起こし、あるいは音出しの作業などをしたりしているうちに、気がつけば曲のストックが雪だるま式に増えていたのでした。そこでこのあたりでストックを一度放出し、みなさんに聞いていただこう、というのが第一の目的というわけです。 今回のお品書きには、過去2回の『アノニマス礼讃』ではやらなかったことがあります。まず一つは、選曲にあたって依拠する資料に、16~17世紀の手稿譜のみというくくりを外して、同時代の印刷楽譜も加えたこと。というよりは、印刷楽譜には純粋な意味でのアノニマス作品がないに決まっている!という勝手な思い込みから、自由になったということです。実際に、印刷されたリュート・タブラチュアの資料をあたってみると、文字通り「作者不詳」とタイトルがつけられたものを、いくつか見つけることができました。それらを音出ししてみたらいずれも質の高い作品でしたから、なおさら取り上げないわけにはいきません。 次に、かつて自分が良く弾いていたアノニマス作品や、リュート奏者・愛好家の間ではこれまで比較的演奏の機会が多かったアノニマス作品を、意を決して取り上げたことです。例えばプログラム冒頭に演奏する『パスタイム』は、かつては演奏会のアンコールで必ずといっていいほど、弾いていたもの。そして、後半の方でとりあげる半音階主題によるファンタジアは、大学受験のために演奏活動を長期休止する直前の本番で弾いてそれっきりという、個人的には思い出深い曲です。これらのリュート曲を、おおよそ15年以上のブランクを経て本番にかけるということは、自分にとっての「原点復帰」であるだけでなく、さらにそれらの曲を伝える一次資料に立ち戻り、曲や演奏法についての解釈を一新したという点において、「原典復帰」でもあります。 最後に、手稿譜の所在地としてはチェコ、そしてウクライナといった中欧・東欧地域をはじめて取り上げました。そもそもリュートは、16~17世紀を通して西ヨーロッパの専売特許の楽器であったかのような印象を持たれやすいのですが、それらは中欧・東欧圏が経験した政治的な混乱による、各種資料の散逸がもたらした結果で、その実これらの地域でも当時は優れたリュート奏者たちの活動があったことが明らかになっています。現代のリュート奏者にとって、こうしたレパートリーの演奏がいわゆる「メインストリーム」となることは、今後もないと考えられないでしょうが、それでも紹介する価値は充分にあると考えています。 ところで私が尊敬してやまない、落語家の桂米朝師(1925-2015)は、落語という芸を「催眠術」になぞらえています。演者の人格が消え、落語の登場人物や描かれている世界そのものがあたかもそこに現れるかのように、聴衆に対して錯覚を起こさせるのが、落語という芸の真髄だと言うのですが、古い音楽の演奏にもそれと相通じるものを感じています。例えば私は、ダウランドのリュート作品を演奏する際には、そこにダウランドが弾いているかのような錯覚を、聞き手に対して生み出せれば最高だと絶えず思っていますし、フランチェスコ・ダ・ミラノを演奏する時は、半分無理だと分かっていても(・・)極力フランチェスコ・ダ・ミラノになりきってパフォーマンスするよう、心がけています。いわば演奏者たる坂本龍右という存在を、極力消すようにしているのですが、では演奏の対象が「アノニマス」であればどうでしょう?そもそも「アノニマス」というものが、私たちにとって確たる存在になり得ない以上、例えば私がこうだと思う「アノニマス」像をみなさんに提示しようとしたところで、所詮はあまり意味のないことかもしれません。ただ、「アノニマス」は、具体的な個々の活動事績や、実際の作品が多く残っていたりする有名作曲家たちのように、いわば現代の私たちにとって「手垢のついていない」存在ということは確かなのですから、むしろその利点を生かして、今回の私の演奏からみなさん思い思いの「アノニマス」を頭に描いていただき、楽しんでいただければと思います。 2017年12月バーゼルにて 坂本龍右
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アノニマス礼讃II 詳細解説(2016)
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2016年8月7日(日)『アノニマス礼讃II ~スイスの女・漁師の男~』公演の詳細解説です。今年は譜例も含め、24ページのボリュームとなりました。予習のおともにどうぞ。 ごあいさつ(本文より。長文) 昨年の夏に行いました、坂本龍右のリュート・ライブ『アノニマス礼讃』がご好評につき、早くも続編の開催をさせていただくことになりました。こちらの事前の詳細解説を手にとられた方はおそらく、正真正銘のリュート好きか、ルネサンス音楽に対する好奇心が人一倍旺盛な方であろうかとお察しいたします。そして言わずもがな、私もそうした一人です。何しろ「アノニマス」のみによるプログラムを立て、みなさんの前で実際の音として響かせるまでの作業は、さながら考古学者による発掘作業、洒落まじりに書けば、文字通り「考古楽者」の作業といえるでしょう。普段練習している時間よりも、曲探しの時間の方に無駄に時間を割いている、と周りに揶揄されることさえある私ですが(・・)、なるほど既存の枠組みから全く自由になって、いわば自分の「好き放題」に曲を選べる半面、細かく調べ出したらこの分野は本当に「きりがない」のも、また事実です。 ヨーロッパの各地の図書館ではインターネットを介して原典資料を公開するという流れが一段と強まり、リュートとその音楽についての学術的な研究も従来とは考えられない速さで進んでいます。今回のプログラムではそれらの最新の成果の一部を反映させながらお聞きいただくことにしておりますが、実のところ、私もこれらの流れには追いつけなくなってきている、と実感しはじめている次第です。もはや目下の状況では、どんなに時間と体力の有り余っているリュート弾きでも、例え16世紀の音楽のみに集中したとしても、その一生のうちではこなせないだけの量のレパートリーが供給されているのです。半ば諦めにも似た思いに駆られる反面、これだけレパートリーに恵まれているということは、我々にとっては、なんと贅沢なことでしょうか! 今回対にして演奏するプログラム「今さら聞けないルネサンスリュート名曲選」で並べた曲はいずれも、リュート音楽の復興と再評価の時代から今日にいたるまで、繰り返し多くの人々の手により演奏され、また多くの人々によって鑑賞されてきたものばかりで、言うなれば「時代による審判を経て」現代まで生き残った音楽です。対して「アノニマス礼讃」の場合は、一般にはほとんど、というより全く知られていないような音楽を、曲を選んだ演奏者本人でさえも懐疑を含みつつ(・・)、一度限りのつもりで演奏するわけですから、まだ「審判を仰ぐ」状態にすらなっていないのです。 プロ奏者、アマチュア奏者に限らず、これから自分が演奏する曲を決めるという状況で、一般的に知られてなくて、しかも良い曲か(≒ウケるか)どうかわからないのをやるよりは、既に知名度があってある程度評価の定まった曲で、しかも演奏効果の高いものやろう、という方向にいくのは、一理ありますし、自分の立場からも大いに納得できるところです。そうして演奏され、提供される音楽には、「約束された感動」が待っていることもあります。今日の多くの演奏家(特にクラシック音楽の分野で)が聴衆に対して負っている責務の多くは、この感動、言い方を変えれば聴衆との共有意識の構築である、と言っては言い過ぎでしょうか。 他方で、現在演奏されているヨーロッパの古楽といわれる分野において、その復興過程のムーヴメントの一翼を担ってきた先人たちの絶え間ない活動の多くが、レパートリーの発掘とその実践に費やされていた事実を忘れてはなりません。そして我々がその遺産を大事にし、なおかつその姿勢に習うならば、むしろより積極的に次世代のためにレパートリーを発掘しなくてはならないと、私は考えます。現代の古楽演奏のシーンを外から見ていると、古いレパートリーの固定化が徐々に進む一方、やや表面的に過ぎると思われる現代的アレンジの演奏などが目立ちますが、それはネガティヴな意味において、古楽の「クラシック化」が進んだことを現しているのかもしれません。時代の趨勢としてそれはある程度いたしかたないことでしょうし、その現象自体を否定する意図はありません。しかしながら、古い音楽に主体的に関わっていく以上は、「旧きを知り、新しきを知る」・・この日本の諺が表しているような態度を、常に持ちたいと思っているのです。 さて、難しいことを書き連ねてしまって恐縮でしたが、ムーヴメントとしての「古楽」を特別に意識せずとも、素直に「アノニマス」の音楽は、私にとって知的興味をそそるものです。手稿譜に何気なく書きつけられた、場合によっては書きなぐられたと言ってもいい音楽は、当時リュートを手にしていた人々のありのままの日常を、見事に映し出しています。そこには多少粗野でも、生み出されたばかりの原石のような輝きを感じ取れる音楽が、散らばっているのです。それを何世紀ものスパンを経て、みなさんと同じ場で音として共有する・・そのスリリングさを味わいたいからこそ、ここまでに執拗に「アノニマス」にこだわっているのかもしれません。そんな私の果てしない趣味(?)にお付き合い下さいまして、みなさんには心より感謝の意を表す次第です。 今回は、前回の「アノニマス」になかった趣向をいくつか取り入れました。まず、副題にもなっている「スイスの女」「漁師の男」は、鍵盤楽器のために書かれたと思われる手稿譜から選びました。特にタブラチュア譜の発生した段階において、リュートと鍵盤楽器は音楽のジャンルを共有するなど密接な関わりがありましたので、敢えて対象とする資料をリュート用のタブラチュア譜に限定しないようにしました。次に、複雑な記譜システムのために、当時の人々によってさえ敬遠されてきた、ドイツ式リュート・タブラチュア譜(そのシステムについては次章にて説明)のレパートリーに、初めて真剣に取り組んだことです。これによって、私の住んでいるバーゼルをはじめ、スイスにゆかりのある手稿譜やドイツ語圏の資料に現れる作品を、多く盛り込むことが可能になりました。おそらくこうしたものがまとめて演奏される機会は、これまでなかったと思われます。 改めて書きますが、個々の曲の内容の良し悪しは現時点では保障いたしません!それを判断するのは私ではなく、みなさまです。この中のたった一曲だけでも、ルネサンス・リュートにとってのかけがえのないレパートリーとして、後世に残ってくれれば・・そういう思いで臨んでおります。どうか最後までお楽しみいただきたく、お願い申し上げます。 2016年6月東京にて 坂本龍右
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アノニマス礼讃 詳細解説PDF
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【まえがき】 このたびは、私、坂本龍右のリュート・ライブ『アノニマス礼讃』に興味を持っていただきあり がとうございます。 このライブで取り上げる音楽はすべてが作者不詳・・すなわちアノニマス、さらに大多数の 作品曲が本邦初演となります。ただし一曲だけ、有名すぎるほど有名な曲も含まれておりま すが・・ 私の思うところ、いわゆる「クラシック」の演奏会では、たいてい宣伝の段階から当日配られ るプログラムに至るまで、「作曲者」と「曲のタイトル」を前面に押し出しているように思います。 そしてそれが時として必要以上に、演奏会に寄せる期待値に直結させているようなイメージ があります。ある程度の期待や予備知識をもって演奏会に出かけるのも面白いのですが、そ れらを一切合財取り払って聴いてみる、というのも、たまにはいかがでしょうか。それこそ新作あ り、奏者自身による編曲あり、その場での即興ありと、何が飛び出すかわからないジャズのラ イブのようなイメージで。 とにかく、アノニマスばかりを並べるのは、演奏する側にとってはなかなか大きな賭けではある ものの、それ以上に我々の想像力をかき立ててくれるのではありませんか?アノニマス、という と、現在の私たちにとっては、「とるに足りない」作者のものという受け止められ方をする場合が 多いかもしれません。それゆえに、現代まで伝わることがなかったのではないか、とも。しかし、 場合によっては「作者を書く必要のないほど有名な曲」という場合もあるのです。そして私が 取り上げるのは、著作権などという概念など存在しなかった時代の音楽。誰もが自由に当 時の流行りの旋律を自分の作品に取り入れ、必要とあらば同業者の書いた音楽をそっくりそ のまま使う、なんてことを平気でやってのけていたのですから。 今回のライブは、2月に開催した「ルネサンスの名匠 Il Maestro」、すなわち巨匠(あくまで 当時の、ですが。)の名前と足跡を辿ったリサイタルとは正反対のコンセプトに基づいていま す。従来とはまた違った新鮮な視点で、ルネサンス・リュートの響きをお楽しみください。 以下は、一回きりという前提のライブに向けて、本当にマニアックな部分まで知りたい、細か いところまで聞き逃したくない、または色々想像を駆け巡らせながら耳を傾けたい、という方の ための、場合によっては丁寧過ぎる(?)事前ガイドです。どうぞこれを片手に、当日を楽しみ にお待ちください。 ※所有権の関係などで、図版は掲載されておりません。ご了承ください。